2013年10月02日 石部散策2
前回からのつづきです。
石部はあまり食べ物屋さんは、見かけませんでした。
なので、あらかじめ定めていたお寿司屋さんでランチを食べました。
その後、甲西駅へ向うのですが、
その道中でいくつか神社を巡ることにしました。
まずは、上葦穂(かみほ)神社です。
吉姫神社では、吉姫と共に上鹿葦津姫神が祀られていたこともあり、
吉姫とは、葦津姫ではないかと考えた以上、
上葦穂神社の祭神は、葦津姫だと想像していたのですが・・・

式内上葦穂神社です。
川を渡って境内に参入します。

今回は、橋を渡っての神社が目立ちます。
どうしても川神、水神の祭祀を想像しちゃいますよね。
この川で、昔は禊をしていたのでは・・・なんてね。
参道を抜けると、

なぜか拝殿の横にあたるのです。
正面からはちゃんとしているのに、参道が横から入るのです。

元は違うのかもしれませんが、今は本殿の反対側は社務所があります。
とりあえずお参りしました。

それで御祭神ですが、
伊邪那岐命と 国常立命です。
想像ははずれました。。。
社伝によると、
『孝徳天皇の白雉元年二月に阿星嶽より五色の御旗が降り祀られたのが創祀と伝えられている。』
『この御幡の降った地を御幡塚として現在も聖地とされている。その後社殿を設けて祀られ、旧社号を白雉神社と称していた。』
元は、葦ではなく 白雉神社だったのですね。

拝殿にこんな表示が、

この神社は、神仏習合だったようで、地蔵さまがおられました。

お地蔵さまは、お堂の中でお姿は拝見できませんでしたが、
手を合わせておきました。
オン・カカカ・・・
神社を出ると、甲西駅までは少し距離があります。
景色を楽しみながら歩きました。
一番目だって気になるのは、
この山だ!

野洲川を隔てて、多分、
菩提寺山だと思います。
この山の向こうには、三上山が隠れています。
菩提寺山は、別名竜王山と呼ばれここに小菩提寺三十六坊とよばれる伽藍があったそうで、
織田信長に燃やされていますが、小菩提寺跡は、白洲正子の「近江山河抄」にも記述が見えます。
小菩提寺を建立したのは、金粛菩薩(こんしょうぼさつ)と言われています。
金粛菩薩は、別人だという記録もあるのですが、良弁さんのことだとされています。
良弁さんとは、東大寺初代別当を務めた偉いお坊様です。
この石部や栗東、湖南地区は、この良弁さんが作った大宗教圏なのです。
小菩提寺に対し、金勝山(こんぜやま)には、大菩提寺と呼ばれる金勝寺があります。
多分ですが、これが金勝山かな・・・

金勝寺も良弁の開基とされています。
金勝山は、峰が連なりここにも竜王山があって、そこには八大龍王が祀られています。
金勝山は、手頃なハイキングコースになっていて、今も残る金勝寺や、天狗岩や耳岩といった巨石が見られます。
花崗岩が隆起してできた珍しい形の岩がおりなす風景は、正に神の住まう山に相応しい雰囲気を持っていると思います。
そして、この石部にも金勝山と連なって阿星山が存在し、前にも書いたとおり五千坊と言われる一大宗教圏を形成していました。
多分・・・自信ないけど、これが阿星山かな?

もちろん良弁の開基です。
阿星山中の標高約600m付近にも竜王社があり、竜王山と称しています。
現在も東寺地区の人々によって毎年七月八日に竜王社に参篭し、祠のそばの巨岩にあけられた二ヶ所の穴に持参した水を注ぎ、竜王社の神体の石を長寿寺の鎮守社である白山神社に持ち帰り、五穀豊穣を祈願するという雨乞いのなごりと思われる行事が残っていそうです。
ここは、龍神信仰、水神信仰の地なのです。
それもそれぞれの竜王山に囲まれるようにして真ん中に野洲川が流れています。
また、阿星山の信楽側の飯道山東中腹にも良弁さん開基の薬王寺があります。
飯道山山頂の飯道神社は、東大寺二月堂の守護神とされています。
二月堂と言えば、お水送りで有名ですが、
そのお水を送る遠敷に良弁さんの誕生碑があります。
良弁さんは、いくつか生誕地の伝説があり、近江であるとも伝えられています。
石部にある良弁開基の長寿寺の鎮守社が白山神社だというのも意味がありそうです。
良弁さんと白山信仰の泰澄さんは同時代を生きております。
そんなことを考えながら、目印の川まできました。

おそらく方角からいくと野洲川に流れ込んでいるのだと思います。
この川の川下へ行くと、甲西駅の方角です。
しかし、少し川上へ登ってみることにしました。
地図でちょっと気になる神社があったのです。
つづく
石部はあまり食べ物屋さんは、見かけませんでした。
なので、あらかじめ定めていたお寿司屋さんでランチを食べました。
その後、甲西駅へ向うのですが、
その道中でいくつか神社を巡ることにしました。
まずは、上葦穂(かみほ)神社です。
吉姫神社では、吉姫と共に上鹿葦津姫神が祀られていたこともあり、
吉姫とは、葦津姫ではないかと考えた以上、
上葦穂神社の祭神は、葦津姫だと想像していたのですが・・・
式内上葦穂神社です。
川を渡って境内に参入します。
今回は、橋を渡っての神社が目立ちます。
どうしても川神、水神の祭祀を想像しちゃいますよね。
この川で、昔は禊をしていたのでは・・・なんてね。
参道を抜けると、
なぜか拝殿の横にあたるのです。
正面からはちゃんとしているのに、参道が横から入るのです。
元は違うのかもしれませんが、今は本殿の反対側は社務所があります。
とりあえずお参りしました。
それで御祭神ですが、
伊邪那岐命と 国常立命です。
想像ははずれました。。。
社伝によると、
『孝徳天皇の白雉元年二月に阿星嶽より五色の御旗が降り祀られたのが創祀と伝えられている。』
『この御幡の降った地を御幡塚として現在も聖地とされている。その後社殿を設けて祀られ、旧社号を白雉神社と称していた。』
元は、葦ではなく 白雉神社だったのですね。
拝殿にこんな表示が、
この神社は、神仏習合だったようで、地蔵さまがおられました。
お地蔵さまは、お堂の中でお姿は拝見できませんでしたが、
手を合わせておきました。
オン・カカカ・・・
神社を出ると、甲西駅までは少し距離があります。
景色を楽しみながら歩きました。
一番目だって気になるのは、
この山だ!
野洲川を隔てて、多分、
菩提寺山だと思います。
この山の向こうには、三上山が隠れています。
菩提寺山は、別名竜王山と呼ばれここに小菩提寺三十六坊とよばれる伽藍があったそうで、
織田信長に燃やされていますが、小菩提寺跡は、白洲正子の「近江山河抄」にも記述が見えます。
小菩提寺を建立したのは、金粛菩薩(こんしょうぼさつ)と言われています。
金粛菩薩は、別人だという記録もあるのですが、良弁さんのことだとされています。
良弁さんとは、東大寺初代別当を務めた偉いお坊様です。
この石部や栗東、湖南地区は、この良弁さんが作った大宗教圏なのです。
小菩提寺に対し、金勝山(こんぜやま)には、大菩提寺と呼ばれる金勝寺があります。
多分ですが、これが金勝山かな・・・
金勝寺も良弁の開基とされています。
金勝山は、峰が連なりここにも竜王山があって、そこには八大龍王が祀られています。
金勝山は、手頃なハイキングコースになっていて、今も残る金勝寺や、天狗岩や耳岩といった巨石が見られます。
花崗岩が隆起してできた珍しい形の岩がおりなす風景は、正に神の住まう山に相応しい雰囲気を持っていると思います。
そして、この石部にも金勝山と連なって阿星山が存在し、前にも書いたとおり五千坊と言われる一大宗教圏を形成していました。
多分・・・自信ないけど、これが阿星山かな?
もちろん良弁の開基です。
阿星山中の標高約600m付近にも竜王社があり、竜王山と称しています。
現在も東寺地区の人々によって毎年七月八日に竜王社に参篭し、祠のそばの巨岩にあけられた二ヶ所の穴に持参した水を注ぎ、竜王社の神体の石を長寿寺の鎮守社である白山神社に持ち帰り、五穀豊穣を祈願するという雨乞いのなごりと思われる行事が残っていそうです。
ここは、龍神信仰、水神信仰の地なのです。
それもそれぞれの竜王山に囲まれるようにして真ん中に野洲川が流れています。
また、阿星山の信楽側の飯道山東中腹にも良弁さん開基の薬王寺があります。
飯道山山頂の飯道神社は、東大寺二月堂の守護神とされています。
二月堂と言えば、お水送りで有名ですが、
そのお水を送る遠敷に良弁さんの誕生碑があります。
良弁さんは、いくつか生誕地の伝説があり、近江であるとも伝えられています。
石部にある良弁開基の長寿寺の鎮守社が白山神社だというのも意味がありそうです。
良弁さんと白山信仰の泰澄さんは同時代を生きております。
そんなことを考えながら、目印の川まできました。
おそらく方角からいくと野洲川に流れ込んでいるのだと思います。
この川の川下へ行くと、甲西駅の方角です。
しかし、少し川上へ登ってみることにしました。
地図でちょっと気になる神社があったのです。
つづく
Posted by
柚子木琴火
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20:26
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