2017年02月04日 稲枝・豊郷散策4
前回からの続きです。
勝鳥神社から、次のポイントまでは少し距離があります。
しばし散歩を楽しみます。
少し田んぼの畦道を歩いていましたが、方角を間違えるといけないので、車道へと出て解りやすい道を選びました。
そうこうするうちに豊郷町に侵入です。
この道は、稲枝沢線といいます。
国道8号線を横切り、このまま真っ直ぐ行くと秦荘町へ繋がっています。
秦荘は、その名のとうり秦氏の地です。
つまり、このあたりは渡来系が住んでいた地域なのですね。
そして、南西の方角に大津ということは、その先は京都。
その反対側は福井や北陸つまり日本海側とつないでいる重要な地域だったと考えられます。
さて、次の天稚彦神社は近江鉄道豊郷駅の近くです。
そこまでに沢という地区を通っていくのですが、この地は、その名のとうり水の豊富な地だったようです。
地下水が豊富で灌漑用や工業用に利用していたようです。
しかし、現在は環境の変化により水位の低下で湧き出ることはなくなったそうです。
今は、その名残だけが記念として残されています。
話は飛びますが、誰もが知っていますが、日本ほど水資源にそれも自然に飲める清い水に富んだ国は珍しいといいます。しかし、その反面水の恵みに対する意識の低い民族ではないかと思います。
京都三名水というのがありますが、それも1000年以上にわたって今も湧き出ているのは、染井だけです。
道路工事やおそらく地下鉄の工事で水脈が切れてしまったのだと思います。
この沢の地もそうかもしれません。
今、進められているリニア中央新幹線も86%がトンネルだそうで、その工事では、長野県辺りの日本の大事な水脈に悪影響を及ぼす可能性が高いと聞いています。
我々、日本人は自然を恐れ畏み、その恩恵に預かって生きてきた民族です。
大地の気脈、水脈。これは地龍や水龍として崇拝してきたのです。
それが近代になって、経済のもとに自然を支配していると錯覚するようになりました。
人間社会が自然と離れて生きる、その先には何が待っているのでしょうか?
かつての戦争の原因は石油をめぐる争いであり、これからは水を巡る争いになると予言する人もいます。
戦争といわずとも、清涼で豊かな水資源を狙って経済の亡者は日本に進出してくることも予想されます。
我々は、その時に意識を持って大事なものを守ることができるのでしょうか?
そんなことを感じながら、沢の地区を後にしました。
さて、いよいよ今回のメインの一つ、
天稚彦神社です。
大きな神社なのですぐわかりました。
御祭神は、天稚彦命 大国主命 事代主命
配祀神に、大山咋神 大物主命 加具土命 下照姫命 菅原道眞公
第四十九代光仁天皇天応元年(781年)十一月に創建されたようです。
神代の昔、天稚彦命は神々と共に当地にお立ち寄りになった時、風光明媚な日枝の庄を大変称賛されたので妃の下照姫命が天稚彦命の御遺体を此の地に葬られたのが創祀の始まりと伝えられています。
つまり、ここが天稚彦命の墓地でもあるということになりますね。
天稚彦は謎の神です。
天稚彦は、天津神。すなわち高天原に住む神でありながら、大国主の支配する地上を征服するために下った神です。しかし、天稚彦は、征服どころか大国主の娘の下照姫と結婚し、大国主の国に馴染み暮らしてしまったのです。
その裏切りによって殺されてしまった神と神話では伝えられています。
しかし、事実は少し違うような感じがします。
先ほど偶然にもお参りした同じく天稚彦命を祀る勝鳥神社には、「美濃の国での戦いで亡くなられた天稚彦命のなきがらを下照姫命の兄が三津にほおむり勝鳥石をたてたと語り伝えられている。」と伝わっているようです。
(神奈備「天稚彦神社」参照)
天稚彦は出雲ではなく、美濃で戦死したということになります。
美濃には、天稚彦神話にちなむ地があります。
美濃国の藍見川(岐阜県美濃市極楽寺・神笠付近を流れる川)の上流にある喪山(岐阜県美濃市極楽寺・神笠付近の山)がそれです。
岐阜県喪山神社には、天稚彦が祀られているようです。
「歌語り風土記より
むかし天稚彦あめのわかひこ(天若日子)は、ある日、庭先の不審な雉子を矢で射ると、その矢が天から戻って来てその返し矢に当たって死んだ。妻の下照姫したてるひめの泣き叫ぶ声は天まで響いたといふ。葬儀のとき、下照姫の兄の味鋤高彦根あぢすきたかひこね神が喪屋を弔ふと、高彦根神は死んだ天稚彦と容貌がよく似てゐたので、天稚彦の親族は、天稚彦が生き返ったやうだといった。さういはれた味鋤高彦根神は、死人と間違へられたことを怒り、喪屋を足で蹴飛ばすと、喪屋は空を飛んで美濃国の藍見川の川上に至り、それが今の喪山(美濃市大矢田)であるといふ。喪山にまつられてゐた喪山天神社(祭神・天若日子命)は、北方の天王山の麓の楓谷の大矢田神社(牛頭天王社)の境内社として移転された。楓谷にはヤマモミヂ樹林がある。」
(家族レシピ~面倒な家族を味方にする3ステップ「喪山神社(岐阜県美濃市)225」より転記)
ちょっと、話が混乱しそうですが、
神話では、天稚彦が死んで葬式の時、下照姫(天稚彦の妻)の兄である味鋤高彦根が喪屋を訪れた時に、味鋤高彦根が、天稚彦と似ていたために、天稚彦と間違われました。死人と間違えられ怒った味鋤高彦根が蹴とばした喪屋が喪山神社になったということです。
元々、葬式の時に喪屋には天稚彦を弔っていたので、それが落ちてきたということは、そこに天稚彦を祀るということは不思議でもないですが、現実にそのようなことはないため、これは何かの喩えであると考えるの自然です。
つまり、天稚彦はなんらかの原因で美濃で亡くなった。
そして、この話に出てくる味鋤高彦根を祀る阿自岐神社へ、この後訪れることになります。
そっくりだったという天稚彦と味鋤高彦根は同一神だという説もあります。
その前に、天稚彦神社をお参りしておきます。
本殿は、改装中みたいです。
境内社のお稲荷さんと、
愛宕神社。
愛宕神社の鳥居がめちゃくちゃ低いです。
かがんでお参りしないといけません。
この低い鳥居をきつい体勢で潜ってこそご利益があるということらしいです。
ここは、火伏の神。年末に糸魚川で大火事があったところなので、お参りしておきました。
つづく
この記事へのコメント
近江出身の私には非常に勉強になり、感心し、かつ楽しめるブログです。無理のない範囲で更新が継続されることを期待しております!
Posted by 近江者 at 2017年02月10日 21:23
近江者様
コメントありがとうございます。
できるだけ記憶の定かなうちに更新しなければ・・・と思うのですが、週末の時間のある時にしか更新できないでいます。
これからも機会があれば近江に埋もれた歴史に触れていきたいと思っているので、気長に待っていただけるとありがたいです。
コメントありがとうございます。
できるだけ記憶の定かなうちに更新しなければ・・・と思うのですが、週末の時間のある時にしか更新できないでいます。
これからも機会があれば近江に埋もれた歴史に触れていきたいと思っているので、気長に待っていただけるとありがたいです。
Posted by 柚子木琴火
at 2017年02月11日 08:51

下照姫命の周りお兄さんと旦那さんがどうも私が追っている大と小の婿さんのように思ってしまいます。小には下照姫命が関わっていそうですね。近江以外だと若干名前は違うのですけど同じような関係性が見えるようにも。ある意味因縁ですかね。
鳥居が異常に低いとのお話も敬意をはらわずにはいられないようにも思いますね。
物部さん(ミゾクイ系大阪の)や倭文さん系とも関連してきそうに思います。
各地の各専門家のお話はとても興味深いですね。
私のイメージはアジスタカヒコネの方が婿で兄ではないようにも反転でややこしくなっている事も考えて近江の民衆の為に頑張った方々の軌跡を辿りたいですね。5x1e
m4
鳥居が異常に低いとのお話も敬意をはらわずにはいられないようにも思いますね。
物部さん(ミゾクイ系大阪の)や倭文さん系とも関連してきそうに思います。
各地の各専門家のお話はとても興味深いですね。
私のイメージはアジスタカヒコネの方が婿で兄ではないようにも反転でややこしくなっている事も考えて近江の民衆の為に頑張った方々の軌跡を辿りたいですね。5x1e
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Posted by りひと at 2017年04月17日 11:05