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Posted by 滋賀咲くブログ at

2018年12月02日   瓦屋禅寺、紅葉狩り

もう我が家の年間行事化している両親を連れての紅葉狩りです。
老齢の両親を連れているため、ウォーカーではありませんが、最近は古代近江ウォークもしておりませんので、記録しておきます。

今回の目的地は、八日市です。
八日市は、以前歩いたことがある町でなかなか歴史の古い町でありました。
詳しくは、以前の記事を参照してください。今回訪れた瓦屋禅寺のことにも触れております。

さて、その瓦屋禅寺は紅葉の穴場と呼ばれており、これまた紅葉狩りのスポット太郎坊の奥に位置しております。
八日市の町から長い石段を登っていくのですが、今回は車でお寺までアクセスしました。
駐車場からのアプローチですでに紅葉が迎えてくれます。






今回の目的は、紅葉狩りなので歴史考察は省いて、目にしたことを画像中心にご紹介したいと思います。


瓦屋禅寺の歴史

当山の歴史は1,400年以上前に遡ることに成ります。寺伝曰く聖徳太子が山中の土を用いて瓦を106,000枚から108,000枚造らせて摂津(大阪)四天王寺建立の際にその瓦を用いたのが寺名の由来とされるます。

瓦屋寺(かわらやじ)の名は聖徳太子より賜り、本堂中心の十一面千手千眼観世音菩薩立像(旧国宝・現国重要文化財指定)、四天王像四体(東近江市文化財指定)、地蔵菩薩座像は寺伝によると聖徳太子御作とされ貴重な宝物です。

源仁により再興され華厳宗の東大寺の末寺であり一山四十八坊を抱える大寺として隆盛を極め、比叡山延暦寺の関係で天台宗時代もありましたが、永禄年間に織田氏の兵火に罹災し、惜しくも堂宇は悉く消失してしまいました。その後80年程の間は荒廃し世の無常さを感じさせましたが、江戸初期(正保年間)に奥州松島瑞巌寺中興雲居禅師が市内に伊達藩の飛び地があった関係で、高弟の香山祖桂禅師がこの古刹瓦屋寺の衰退を嘆き再興を誓い雲居禅師の篤志者であった八日市福原茂右衛門を願主に小堂を建立、梵鐘を吊って臨済宗妙心寺派の一寺として「瓦屋禅寺」が中興されました。

香山祖桂禅師は27歳より74歳で亡くなるまで50年近くも当寺の中興事業にご精進されて四方より修行僧が訪れその教えが広く伝わり、延宝年間には越後十日町(現新潟市)の水野五右衛門の篤志で本堂の再建し、諸堂が整備されたとされます。

現在は平成30年4月国登録文化財として本堂・庫裡・地蔵堂・開山堂・経堂・賓頭盧堂・鐘堂の七棟が指定されます。」

最初に目にしたのは、これ。

僕がツイン地蔵と名付けている、並んでいる仏様の石仏。
僕は、これは古代出雲族の信仰していた幸神信仰の名残だと思っています。
近江は、出雲とも関係が深いのは以前より述べてきたし、その名残をここでも紹介してきました。
そして、この瓦屋禅寺でもその名残を確認することになりました。

順に紹介いたします。




本堂が見えてきました。


本堂は茅葺の渋いお堂です。





穴場と言われるだけあって、静かで落ち着いた空気が流れています。

吞兵衛のビンヅルさん。衆庶を救うも酒だけはやめられなかったとか・・・僕も好きな羅漢さんです。


さらに僕の崇拝する地蔵さま



その奥には祠が祀られていました。
何を祀っているのかは、確認できませんでした。

祠の周りに水を配して祀る、いわゆる弁天さんの様式です。
僕は、このスタイルはヒンズー教のシヴァリンガまたはリンガンヨニと呼ばれるシンボルと同じだと考えています。

画像のお婆ちゃんが水を注いでいる部分が、池の部分で、中心のヨニと呼ばれる突出した柱の部分が祠にあたります。
このリンガンヨニは、アジアの寺院で見られます。

後で、もっとはっきりしたリンガを見られますので、まずは紅葉狩りを楽しみましょう。

全体的にみると、まだ青い紅葉や黄色いのが残っている中で、鐘撞堂の紅葉が一番赤が綺麗でした。




母は、地面に散っている綺麗な赤い葉をいくつか拾っていました。
年老いても、こういったしぐさをするのは、いくつになっても女性なんですね。
僕も綺麗な葉を探して母に渡しました。

本堂から少し高手に経堂はあります。



経堂から見下ろす本堂も美しいです。


さて、本堂の下の道を少し歩きました。

これもある意味、リンガですね。

四角いリンガもあるようですからね。


先ほど、はっきりリンガンヨニが見れると言いましたが、それがこれです。

三尊像の立っている台座は、まぎれもなくリンガでしょ。
ほら、これと同じです。

ヨニに三尊像を刻んでいるだけです。
そして、三尊像とは、もしかすると幸神三神を意味しているのかもしれません。
古代出雲族が信仰していた幸神三神は、父母子の三神で構成されています。

特に古代日本では、その中の母神、つまり女神信仰が強かったようです。
現在も日本の最高神、天照大神が女神なのもその名残です。

そういった意味でもう一つ興味を惹かれる祠はありました。

子を抱く母の像です。

これが誰なのかわかりませんが、その意味は母子の信仰なのは間違いないと思います。

全く想像していなかった瓦屋禅寺での発見でしたが、現代も形を変えて古代日本の魂の名残が見ることができます。
すでに日本人の精神を忘れてしまった現代人。日本の魂をなくした我々はいったい何人なんでしょうか?
時には、古代に思いを寄せることも必要ですね。







Posted by 柚子木琴火 at 09:21Comments(2)八日市紅葉