2013年09月29日    石部散策1

秋晴れの天気に誘われて、
この日も散策に出かけました。
目的地は、石部です。

石部町は、今や湖南市となりましたが、昔より東海道五十三次の石部の宿として栄えていました。
その名のとうり石の採掘場だったのだと思います。
古代より石灰の産地として知られているようで、石部は磯部とも呼ばれたようです。
奈良の石上神宮がイソノカミと読むことを思えば、石部もイソベなのかもしれませんね。

石灰岩のあるところは鉄鉱石のある可能性があります。
それは、マグマの活動により発生する高温の鉱化流体が岩石中を移動・上昇するときに、
石灰岩やドロストーンの中を通過すると化学的に反応して、
これらの岩石をケイ酸塩鉱物の集合体で置き換えてしまい、
この際、鉱化流体中に溶存していた鉄、銅、亜鉛、鉛、タングステン、モリブデン、スズなどの有用金属も
硫化物や酸化物として沈殿して鉱床をつくるからです。

ここ石部も古生代とその後に貫入した花崗岩との接触部にできた接触交代鉱床で、
磁鉄鉱床の存在が知られています。
石部町には江戸時代の製鉄遺跡はあるのですが、古代の製鉄遺跡は今のところ発見されていないようです。
しかしながら、その存在の可能性は高いようです。
「鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論・・・」参照)

なので、石部とは鉄鉱石の採掘場ではなかったのか・・・なんて想像をしてしまいます。
また、鋼の精製には石灰は必須な要素だそうです。

実は、ここ石部町を含む甲賀には土蜘蛛が居たのではと考えています。
僕の母方の実家のある石部から近い三雲は、
奈良時代にはその地名が存在していました。
この三雲は三蜘蛛なのではないか・・・と考えています。
もしかすると水蜘蛛かもしれません。
野洲川の対岸は水口です。物部氏の地です。

甲賀は、元伊勢日雲宮があった場所です。
今、日雲宮跡は、信楽の日雲神社だといわれていますが、
その他にも元伊勢を伝える神社があり、三雲の実家の産土社もその一つなのです。

以前ある神主さんに話しを聞いたところ、
元伊勢は、いくつかあって当然だ。と言っていました。
倭姫の一行は、何百人といたそうで、
甲可日雲宮に4年奉斎というのは、4年かかってその地を平定したという意味だと言っていました。
その際に、いくつかの駐屯所を移動したわけで、その後が元伊勢になったということです。
ということは、その地に征服すべき民がいたわけで、
それが三雲の製鉄民である土蜘蛛だったのではないかという想像です。
ただ、それを証明する記録は残っていないと思います。


長いまえふりとなりましたが、
僕にとって縁深き場所なのです。

では、JR石部駅からスタートです。

石部散策1

草津駅で三重県方面へ向う草津線に乗り換えて二駅です。

ほとんど野洲川沿いの道で伊勢へと向う道です。
石部は、伊勢への宿場町なのです。

石部散策1
石部散策1

石部宿は「京立ち石部泊り」と言われ、京都を出て1日の行程でした。
斎王の道であり伊勢参りの道でした。
斎王一行は、近江国の勢多(せた)・甲賀(こうか)・垂水(たるみ)、伊勢国の鈴鹿(すずか)・一志(いちし)に設けられた仮設の宮、頓宮(とんぐう)に宿泊し、5泊6日の行程で伊勢に赴きました。
磯部という地名は、伊勢にも残っていますが、
地理的にも伊勢と石部は繋がっているのだと思います。


さて今回のお目当ては、吉御子神社と吉姫神社の男女の対神の神社巡りです。

石部駅から1kmくらいのところに吉御子神社があります。
まずは、そこを目指します。
やはり川の近くに鎮座しておりました。
石部散策1

住宅地の中の明るい場所です。
石部散策1
真っ直ぐの長い参道を歩きます。
石部散策1

御幸橋を渡って境内に入ります。
石部散策1

石部散策1
ちょっと威厳というのか・・・
立派な神社だなというか、パワーを感じました。
予想外です。


御祭神は、吉彦命、吉姫命、 鹿葦津姫大神
配祀神に応神天皇 猿田彦命 をお祀りされています。

『社伝によれば崇神天皇六十八年に神降があり、垂仁天皇二年に宇加之彦の子、吉比古・吉比女の神を、谷黒の御前に祀ったのが創祀とされている。』

延喜式内石部鹿塩神神社の論社となっています。

石部散策1

御祭神の吉彦、吉姫は、「倭姫命世記」に
『多気連の祖、宇加之日子の子、吉志比女、次に吉比古二人参り相いき』
とありますが、二人が倭姫命に参向したのは、甲賀ではなく伊勢国壱志郡の阿佐加だったようです。
また、多気連は、伊勢国多気郡の豪族であることからも石部鹿塩神社と倭姫命伝承との結びつきを考えるのは難しいと石部町史には記載されていました。
ただ、吉志比女、吉比古を奉祀する氏族が石部に住み着いた可能性は考えられるということです。

本殿です。
石部散策1

慶応3年、上加茂神社より旧社殿を移築したようです。


吉御子神社を出ると、対の吉姫神社へと向いました。

すると吉御子神社のすぐ近くに茶店がありました。
石部散策1

安藤広重が紹介した田楽茶屋が再現されています。
石部散策1

店の前は、当然東海道ですね。
石部散策1

現代の東海道の風景は、
石部散策1

ちょっと遠回りをしながら吉姫神社へ向いました。
道中、石部図書館によったり、
石部散策1

溝を覗いて魚の存在を確認したり
石部散策1

名所の案内を見たり
石部散策1
長寿寺は、良弁によって建てられたのか・・・
と気にしてみたり。

そうそう、石部は南側に阿星山があって、
ここは比叡山以前の一大宗教圏だったのです。
平安時代には、阿星山五千坊と呼ばれるほどだったのですが、現在はあまり知られていませんね。


と、ブラブラ歩いていると近江の地酒「香の泉」の竹内酒造も発見しました。
散策中でなければ買物していたところです。

もう少し歩を進めるとお目当ての吉姫神社へ辿り着きました。
石部小学校の近くです。

石部散策1

ここも住宅に囲まれた参道を抜けると立派な神域が形成されていました。
石部散策1

御祭神は、上鹿葦津姫神、吉比女大神
配祀神に木花開耶姫です。
鹿葦津姫神とは、木花開耶姫の別名です。

石部散策1

僕は、上鹿葦津姫神、吉比女大神、木花開耶姫は同神じゃないのかな?と感じました。
葦(あし)は、悪しに通じるため、葦(よし)と近江では読むのです。
これがヨシヒメ=吉姫じゃないのかな・・・ということですが、もしそうなら吉彦は、ニニギノミコトになるのでしょうか?
この近くに十禅寺緑地公園なるものがあるようです。
石部散策1
十禅師とは、山王信仰ではニニギノミコトを意味します。


そんなことを考えながら本殿へお参りしました。
石部散策1

本殿は扉が開いており、中でお参りすることができました。
燦々と光が降り注ぐ中で、誰も居ない静かな神域で気持ちの良いお参りになりました。

石部散策1

石部散策1

境内社の世継神社、天満宮、水神社も祀られています。
石部散策1石部散策1石部散策1

本殿の横には神水が湧いています。
石部散策1

その奥はお稲荷さんかな。。。
石部散策1


さて、図書館で調べ物をした分、時間がお昼を回ってしまいました。
お腹が減ったので昼食をとり、
午後からもう少し甲西駅へ向って散策してみようと思います。


                 つづく



同じカテゴリー(街歩き)の記事画像
小野づくし2
小野づくし1
稲枝・豊郷散策6
稲枝・豊郷散策5
稲枝・豊郷散策4
稲枝・豊郷散策3
同じカテゴリー(街歩き)の記事
 小野づくし2 (2022-07-27 14:24)
 小野づくし1 (2022-06-30 14:27)
 稲枝・豊郷散策6 (2017-03-05 09:48)
 稲枝・豊郷散策5 (2017-02-11 11:48)
 稲枝・豊郷散策4 (2017-02-04 10:25)
 稲枝・豊郷散策3 (2017-01-14 12:42)


Posted by 柚子木琴火 at 15:19 │Comments( 0 ) 街歩き
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。