2017年02月11日    稲枝・豊郷散策5


前回からの続きです。

天稚彦神社の次は、阿自岐神社へ向かいます。
阿自岐神社へは、直線で2kmほどだと思いますが徒歩だと少し距離があります。僕はわかりやすいように国道8号線を歩くことにしました。
なので、一端、国道を目指して歩きます。

ところで、もし古代出雲と関係あるのなら夫婦の信仰が残っているはずと思っていましたが、今回はそれが見当たりません。
そう思っていると、道中、こんなものが目に入りました。
稲枝・豊郷散策5
夫婦石。だけどこれは新しいものです。
ここは、公民館のようですが、夫婦石を置いた背景に夫婦の信仰が隠れているのなら一つの手がかりになりそうですが、確証はありません。違うような気がしました。

さらに国道に向かって歩いていると池がありました。
稲枝・豊郷散策5
一羽の白鳥が飼われているようです。
稲枝・豊郷散策5

勝鳥神社に続いて白鳥とは、酉年そうそう縁起が良さそうですね。


もう正午も随分過ぎており、お腹も空いていました。
国道に出れば回転寿司があるので、昼食にしようかと思ったのですが、やはりお正月ですね。
満席で、お客さんが並んでいました。
昼食を諦めて車の多い、国道8号線を北上します。

やがて安食西という交差点にさしかかり、ここを東に折れますと、あと少しで阿自岐神社につきます。
安食とは阿自岐の別表記ですね。
稲枝・豊郷散策5

まずアプローチしたのは、阿自岐神社の庭園です。
稲枝・豊郷散策5
稲枝・豊郷散策5
名勝と石碑に刻まれていますが、あまり手入れがされておらず庭園を歩くことはやめました。

隣接して阿自岐神社が鎮座しています。
稲枝・豊郷散策5
こちらは、綺麗ですね。

御祭神は、味耜高彦根神、道主貴神
配祀神に天児屋根命、保食神、須佐之男命、天照大神、應神天皇、宇迦之御魂神、 大巳貴命、 猿田彦神、植山姫神

味耜高彦根神は、大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子で、同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいます。
つまり出雲の神様です。
配祀神に須佐之男命、大巳貴命、 猿田彦神が祀られているのも出雲繋がりなのだと思います。
道主貴(みちぬしのむち)神とは、宗像三女神のことですから、味耜高彦根神の母神を一緒に祀っていることになります。

稲枝・豊郷散策5

拝殿です。
稲枝・豊郷散策5

その奥の本殿へお参りしました。
稲枝・豊郷散策5

境内には池があるのですが、これがとても古いものだそうです。
滋賀県神社庁のHPによると
「当社の境内は全体が庭園になっており、社殿を中心に東西に池があり、池には多数の島を配しており、池泉多頭式庭園のようすをそなえている。庭園の規模は大きく、池中の中島には数百年の老杉が育成している。作庭年代は上古時代のものと推定され、原型をとどめているのは当社のみとされている。」
稲枝・豊郷散策5

稲枝・豊郷散策5

また白鳥がいました。
稲枝・豊郷散策5

弁天島のような中島もあります。
行ってみようかと思ったのですが、もし途中で壊たりすると困るな・・・と思わせる感じだったので止めました。
稲枝・豊郷散策5


さて、この池から道を挟んで向かいにこんなものが建てられていました。
稲枝・豊郷散策5

碑文は阿自岐の里を説明しているようです。
稲枝・豊郷散策5

稲枝・豊郷散策5

簡単にまとめると、阿自岐の郷は、応神天皇時代に百済から渡来した阿自岐氏によって拓かれた土地であるということです。

豊郷町役場のHPには、阿自岐神社についてこんなことが書かれています。
「この神社に祀られているのは、アジスキタカヒコネの神で阿自岐氏のことです。阿自岐氏はかなり高貴な百済系の渡来人で、この庭園づくりに、日本に漢字を伝えた王仁氏を招いたといわれています。それはなんと今から1500年も前の事ですから、まだ庭などなかっただけに、阿自岐庭園は古代豪族の憩いの場となっていたのでしょう。これは日本最古の庭園の一つともいえます。また、この地域が安食と呼ばれるルーツは、やはり阿自岐氏からきたと思われます。阿自岐氏が近江に来て美しい庭園を築き、心豊かに安らぐこの郷に住んだと聞いて訪れると遠く千数百年前、古代豪族の美の世界へロマンが広がります」

また滋賀県観光情報には、こんなふうに書かれています。
「あじきさんと呼ばれ、主祭神(味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)・道主貴神(みちぬしむちのかみ))と相殿神(天児屋根神(あめのこやねのかみ)・保食神(うけちのかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと))の5神を祭神として祀っています。味耜高彦根神は朝廷と深いかかわりのあった、百済からの渡来人阿自岐氏ではないかといわれています。」


阿自岐神社は、味耜高彦根神を祀るからアジキ神社というのだと思っていました。
実際、滋賀県神社庁のHPには、
「「阿自岐神社」の社名は祭神「味耜高彦根神」の「味耜」の約音であるといわれている。」
と書かれています。つまりアジスキからアジキが付いたということで自然な説です。
しかし、豊郷に来ると、アジキは、渡来人の阿自岐氏からきていると。
そして味耜高彦根神は阿自岐氏のことだということです。

さらに、
「『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「犬上郡豊郷町大字安食西(あんじきにし)に所在。
祭神は、味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・道主貴(みちぬしむち)神・天児屋根(あめのこやね)神ほか3神。式内社。はじめ安食大明神といった。

社伝によると、景行天皇43年犬上君により創立という。明治初年改称(郷社、のち県社)。『延喜式』に「犬上郡七座のうち阿自岐二座」とある古い神社である。

大化改新(645年)後、このあたりにもうけられた安食郷の地名は、応神朝に百済から渡来した阿直岐史氏の居住地に由来するといい、阿自岐神社は、この地にさかえた阿直岐氏族の祖神をまつったものといわれる。

その社域も、阿直岐氏の邸宅跡といわれ、現在の社殿のある所を中心として、東西に構築された池泉多島式の?池庭園は、上古庭園の原型をとどめるもので、県の名勝に指定されている。(浅井喜美)」とあります。」
レファレンス協同データベースより抜粋)


これによると、景行天皇の時代に犬上君により鎮座したのが始まりらしいが、応神時代に百済の渡来人阿直岐氏が祖神を祀ったのが始まりだというのです。

まず、始まりは景行天皇43年なのか、応神朝なのかという疑問があります。
そして、これによるとアジキは、渡来人の名アジキ氏からきているということになります。
これを信じるなら、百済のアジキ氏の祖神はアジスキタカヒコネということになり、奈良県高鴨の鴨氏は百済人ということになってしまいます。


かなり僕の頭は混乱しました。
出雲の神様が百済からの渡来人だと・・・・

アジスキタカヒコネは、出雲風土記にも書かれていますし、迦毛大御神(かものおおみかみ)として、高鴨神社(奈良県御所市)にも祀られています。
なにより、出雲の大国主命の子であるのです。

もしかして、味耜高彦根と天若彦が同一神だという説を信じるなら、
天若彦は、高天原から葦原中国に遣わされた神です。すなわち渡来系ということにおなります。
そして、大国主命の娘下照姫命と結婚しています。
つまり、天稚彦は大国主命の義理の息子。
渡来人、天稚彦は日本に帰化し味耜高彦根と名を変えたという話になれば、阿自岐神社の祭神が渡来人だというのも繋がりがあるかもしれません。
実際、天稚彦神社と阿自岐神社は2km以内の距離に鎮座しているのですから、意味があるのかもしれません。

だけど、ここだけの話にするなら、それもありかもしれませんが、全国的に見るならちょっと厳しいように思います。
これらの矛盾を解決するには、こう考えるしかありません。
応神天皇以前から、この地には味耜高彦根神を祖神を祀る出雲族が慎ましく住んでいた。
そこに応神天皇時代に百済から渡来人が移り住み、味耜高彦根神の名からアジスキの地という地名で呼ばれていたこの地を自分達の名に取り込み阿自岐氏と名乗ったか、呼ばれていったか・・・
そして、先住民の祖神であり、この地の土地神である味耜高彦根神を自分達の信仰に取り入れ原住民と同化していった。
そして、アジキの地は、渡来人阿自岐氏の手によって大きく拓かれたのではと考えるのです。
僕は、この先住出雲族は、大和から天孫族に追われた人々だと考えています。

応神天皇時代は、大規模の渡来人が日本に帰化したと記されています。
その中には、秦氏や東漢氏がいます。彼らの祖は百済から渡来してきたようです。
もしかすると阿自岐氏の祖も彼らの中にいたのかもしれませんね。


しかし、阿自岐神社社伝による「景行天皇43年犬上君により創立という」のも気になります。
阿自岐二座というので、一座は、応神時代でももう一座は景行時代ということになるのでしょうか・・・
景行天皇は、さらに古いです。
犬上氏は、日本武尊の子孫。日本武尊は景行天皇の子ですから、すなわち犬上氏は景行天皇の子孫ということいなります。
甲良町、多賀町、豊郷町をあわせて犬上郡といいます。「古事記」に、「ヤマトタケルノミコトの子、稲依別王(イナヨリワケノミコ)が犬上君、建部君二つの族の始祖」と書かれています。

歴史とは関係ないですが、今回白鳥を重ねて見たことがメッセージと取るなら、この景行天皇の話も無視するわけにはいきませんが、今はこの謎はお預けとするしかありません。
まだまだ深い謎が埋もれていそうですね。


さて、阿自岐神社の謎解きはここまで、腹ペコのまま帰途につくことにしました。
稲枝・豊郷散策5

現在の位置は、近江鉄道の豊郷駅と尼子駅の間くらいですが、帰りは、尼子駅から帰ることにしました。


   つづく



同じカテゴリー(街歩き)の記事画像
小野づくし2
小野づくし1
稲枝・豊郷散策6
稲枝・豊郷散策4
稲枝・豊郷散策3
稲枝・豊郷散策2
同じカテゴリー(街歩き)の記事
 小野づくし2 (2022-07-27 14:24)
 小野づくし1 (2022-06-30 14:27)
 稲枝・豊郷散策6 (2017-03-05 09:48)
 稲枝・豊郷散策4 (2017-02-04 10:25)
 稲枝・豊郷散策3 (2017-01-14 12:42)
 稲枝・豊郷散策2 (2017-01-08 11:42)

Posted by 柚子木琴火 at 11:48 │Comments( 3 ) 街歩き 探訪 稲枝・豊郷 参詣
この記事へのコメント
さすがですね。
私も同感でそもそもその地に大和から出された方々がいたと。その後やってきてというシナリオはありだと思います。
今別件で一つの名前になっている二人の王子に関して母違いを先入観で植え付けられていたように今日感じまして下照姫を挟んだお二人ひょっとしたら一卵性双子?ここは景行天皇の方かと思ってましたが時代も応神の頃から考安さんくらいへも遡りその後が近江では?とも思っています。そして尾張氏と和爾氏が区別に困っていましたけど同じ母ならこの二つもくっ付きかねないようで。似ていたエピソードは後世への間違いないメッセージだと思います。どちらも水神であり製鉄に関わる種族であれば間違いなく子孫繁栄、子授け、五穀豊穣そして技術の進歩の神にもなりそうです。びっくりしたのは出雲でもあるはずなので当時この時代は詳しい分類もない一族だったようにも思いますね。人間が定義付けたことでまどわされているようにも思いますね。
Posted by りひと at 2017年03月01日 14:00
りひとさん

アジスキの家系といか、家族構成はなかなかスキッと僕の頭に入ってきません。
おそらく、何かの作為があったのではないか・・・・と思います。
天稚彦も謎の人物です。

双子といえば、景行天皇の子、大碓・小碓も双子でしたね。
この辺りも何か秘密があるように思います。
Posted by 柚子木琴火柚子木琴火 at 2017年03月05日 10:00
応神天皇ってのがミソですね。この時代に百済からってお話ですから基準のなりますね。ただ基準がずれると大変な状況が生まれますね。昨日19代天皇の古墳を考えていたのですけどこの天皇が済(セイ)ですよね。以前の柚子坊さん夢がいよいよ謎解きの鍵になりそうです。考古学等では応神天皇仁徳辺りが時代的に変わってきそうな気配ありです。一般的な歴史との反転なら考古学のが物的証拠にも。
そこは専門家に任せます。

実生活に影響は考え方ですぐお知らせがきますので仮定はそれによって直しながら、素直すぎて騙されないように自分の経験上で神様と接点持ちたいです。
阿+ の一族はとても好きだったのですがアジスタカヒコネさんは味なのでまさか気付きませんでした。日本語は母音と子音のセットで一音ずつ出来ているのを考えると音から漢字を当てたのならやはり阿自〜と一音ずつ当てている漢字の方が魅力ありますね。またそこを別の字に変えちゃうと地名でもかなり遠くなりますので。また濁点もアジですから濁る音ほど昔っぽくて気になります。
大国主命の息子さんかどうか若干疑問です。むしろナガスヒコネの息子じゃないかなあと、ひこね付きますね。田心姫命も育ての親っぽいので近江から連れて行かれて継体天皇として戻ってきたとか?
多分血の流れは水面下で補修されているので親子関係の歴史自体はかなり怪しいようにも。あくまでも正解はわからない事なので各自での妄想は妄想。考古学的な物的証拠がその歴史のための人間の手で加工されないように出来るのは地元だけですね。
よろしくお願いいたします。
vusuhu
Posted by りひと at 2017年04月17日 11:31
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。