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Posted by 滋賀咲くブログ at

2013年12月07日   日野町散策7


前回からの続きです。

日野町の散策も、もう終わりです。

最後は、出雲川のほとりにある神社でシメる予定でした。



近江にも出雲があるのですねー
出雲の民は、ここ近江へ入植してきたということでしょう。
それが綿向山からだとすると鈴鹿の方からということになるのでしょうか。
近江から鈴鹿を越え、その先にあるのは、街道から考えるとおそらく伊勢ではないか?
と想像します。

伊勢というと、どうしても天照大御神の伊勢神宮をまず思い浮かべますが、
実は、伊勢一宮椿大神社の祭神、猿田彦大神の地でもあります。
猿田彦大神は、出雲神だとも考えられています。


で、これが出雲川です。


小さな川ですが、古代には重要な川だったのでしょうね。

その川べりに鎮座している椎植神社にお参りしました。


御祭神は、武三熊大人命

武三熊大人命は、多賀大社の曽孫、即ち伊勢大神宮の孫であり、綿向神社の天穂日命の子で、西の宮天夷鳥命の弟に当ります。

ここの祭神は知らなかったのですが、綿向の天穂日命の子で、先にお参りした西ノ宮の神とも家族だったので、最後に来れて良かったです。
神社名に惹かれてきたのですが、意味がありましたね。



神武天皇の時代、紀元前656年に出雲の国より綿向大明神の御神霊を奉じて来れた彦健忍雄心命が井戸のある当地で休まれた所で、此の地に命の祖先神で当地の御祭神の御神霊を出雲国より御奉祀された御宮であり、当初は仕居大明神ととなえ欽明天皇6年に綿向山頂の大嵩神社と共に、この地の井戸の上に社殿が造営された。




また、土地整備で消失した伊室神社の棟札は、ここの社殿に移し納められています。
その伊室神社は、日野祭に使える神稚児三人が祭神です。
その三柱とは、
彦健忍雄心命、前出の出雲国より天穂日命を供奉して綿向山へお祀りした神。
健骭宿禰、出雲国の大社の大宮司家の国造家より来て、出雲家を名乗った中興の神。
出雲宿禰貞尚、南北朝時代の大宮司。出雲系統としては最後の宮司。
ということです。




いかに出雲との関わりが深いかわかりますね。

椎植神社は、さほど広い神社ではありませんが、由緒ある神社でした。



さて、随分と歩きました。
駅までちょっと離れてしまいましたね。
でも、最後の力を振り絞って駅まで歩きましょう。


大体の見当をつけて駅の方角へ田んぼの間を歩きました。
しならくすると駅につながる道に当たりました。
近くに、神社が見えましたが、もうお腹一杯という感じです。
そこは八幡神社でしたが、もう椎植神社でシメたので立ち寄りませんでした。


もう少し歩くと、また道沿いに神社がありました。
前を通るので、表示板だけ見ると・・・



鈴休神社 (スズヤミ)

鈴休(スズヤミ)とは、変わった名だな・・・と思いつつ祭神を見てびっくりしました!

御祭神は阿須波神、 波日岐神 です。
この二柱は、坐摩五柱の神のうちの二神です。
坐摩巫祭神と呼ばれるこの五柱は、宮中にも祀られている重要な神様です。

そして、ある見方では、この二柱は、古代の神アラハバキとの関わりがあると感じさせてくれます。
アラハバキ神は、東北で多く見られるものの関西では見られません。
これは、縄文時代に信仰された神が、都に近い近畿では、全て抹殺されたと考えられています。
ただ、その神になんらかの形を変えて信仰は残っていると思われ、
そのカギに阿須波神、 波日岐神 が関わっているという話なのです。

もし、そうなら、この鈴休神社は、抹殺された近畿のアラハバキ信仰の名残である可能性を感じさせてくれるものですが・・・
さて、どうでしょう?

ということで、最後の最後にとんでもない神社に出遭ってしまったかも。
とお参りすることにしました。

7世紀、飛鳥から大津京へと都を遷した天智天皇がさらに美しい都を求めて、この地へ来られ馬を休めたところが社地になったと伝えられているようです。

アラハバキとの関わりは当然わかりませんが、7世紀、天智天皇の時代の創建だそうです。
これも埋没神だとされている瀬織津姫を封じていった時代の先駆けだと言えるかもしれません。

ただ、ここには弥生時代から霊泉を持つ信仰の地だったようなので、水の神様を祀っていた可能性はありますね。
因みに、阿須波神は、福井県の足羽神社の神でもあるように、足、すなわち旅の神だともされているようですので、
天智天皇が旅の途中で休まれた故事に因んでの祭神という可能性もあります。

さらっと、お参りしました。


これが霊泉でしょうか・・・



ここを出ると、駅までもう少しです。
駅付近には、こんな観光マップの看板が目につきました。


で、ちょっと驚いたのは、
鈴休神社から、真っ直ぐ東に行くと、この散策の最初のお参りの地、比都佐神社があります。
そこには、
この地に天智天皇が遷都を定めていたと書かれています。

もしかすると日野に都が出来ていた可能性があったのです。
今や、開かれた地だとは言えない地域ですが、
古代は、重要な地であったわけで、天智時代以前の一大都市だったのかもしれませんね。


そんな日野の駅に戻ると、次の電車まで1時間も間がありました。
時刻表を調べていたのですが、鈴休神社でロスしたようです。
しかし、これも仕方がありません。
時間を埋めるため駅前の観光案内書で、ガイドさんにいろいろと話しを聞かせてもらいました。
そうこう40分ほどすると、ガイドさんが、
あのバスに乗ったら近江八幡駅まで直通ですよ。と教えられ、
これは願ってもないと、御礼を言ってバスに飛び乗りました。

日野~近江八幡間の道中も、気になる神社がいくつか車窓から見えました。
バスの旅も良いかもしれません。


今回は、予想以上の濃い散策となりました。
いろいろと想像力を刺激されました。
この地の神々に感謝しつつ、
旅の疲れを癒すべく、僕は酒場へ向いました。


             おわり



Posted by 柚子木琴火 at 11:30Comments(1)街歩き