2022年07月27日    小野づくし2


前回からの続きです。

小野神社を後にして、次に向かおうとしたところは、
石神古墳群です。


ちょっと山道を歩くことになりますが、途中にお稲荷さんが祀っていました。


こういう小さな信仰にも歴史があるはずです。


道の分岐。小野は、道しるべがあちこちで見られるので、散策しやすいです。


石神古墳群
「石神古墳群(小野1157-2)は、4基の円墳からなる古墳群で、いずれも横穴式石室をもっています。1号墳は7世紀頃の古墳で、1974年に調査が行われ、現在は石棺だけが残っています。2号墳は石室の一部が地面から露出しており、少しだけ内部が見えます。3号墳と4号墳はいずれも石室が開口しています。2,3,4号墳は6世紀後半のものと推定されます。」



山道は、木々が生い茂り、ちょっと蛇とか蜂とかが出てきたら嫌だな・・・という気分になりました。
ここから古墳へと入っていくようですが、止めました。


こちらのブログには、古墳の様子を画像を交えて紹介されています。
https://kofunoheya.blog.fc2.com/blog-entry-1393.html


とりあえず、僕は小野道風神社へ向かうことにしました。


少し竹藪を歩くと道がひらけ明るい場所に出ました。


公園があり、歴史散歩のコースも整備されています。



その道沿いに小野道風神社は鎮座しております。


参道すぐにこんなものがありました。


小野道風といえば、思い出すのが花札です。


この花札に書かれた人物が小野道風なので、この場面を再現したかったのでしょうね。

小野道風神社は、先ほど参詣した小野神社の飛地境内社で、社殿は小野神社と同じく三間社流造であり興国二年鎮座と伝えられています。
御祭神は、小野道風です。
この方は、平安時代前期から中期にかけての貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されているそうです。後に、藤原佐理と藤原行成と合わせて「三跡」と称されています。

また、「能書としての道風の名声は生存当時から高く、当時の宮廷や貴族の間では「王羲之の再生」ともてはやされた。『源氏物語』では、道風の書を評して「今風で美しく目にまばゆく見える」(意訳)と言っている。没後、その評価はますます高まり、『書道の神』として祀られるに至っている。」 Wikipedia参照

子供の頃より親しんだ花札のおじさんとしか思っていませんでしたが、書道の大家だったんですね。





本殿の脇にも祠が祀られています。

文殊神社とは、初めて見ました。
御祭神が気になるところですが、わかりません。文殊菩薩だとすると菩薩様を神様として祀っていることになりますが・・・
文殊様は、書道上達にご利益があるとされているようですから、小野道風と並んで祀られているのかもしれませんね。


樹下神社


八坂神社

境内からは、琵琶湖大橋が見えます。



次は、小野妹子神社へと向かいます。
少し歩くことになります。

小野妹子神社は、妹子の墓と考えられている唐臼山古墳に鎮座しています。


唐臼山古墳
「この古墳は、西側の封土が流出していて、巨大な箱形石棺状の石室が露出している。現況で全長5.45m、幅1.60m、高さ1.21mの長方形箱形を呈する。この様な構造を持つ古墳は、県内では3例しか認められていない。また、大和朝廷の官人層だけが造営できるという指摘もある。
 石室を成す各石材は、いずれも1.5×2.5m前後の扁平な板石から成る。奥壁1枚、東側壁石3枚、西側壁石3~4枚を立岩として連ねて室をつくり、4枚前後の天井石で覆うものである。しかし、石室の入口がどのような構造を成したか不明である。入口付近の床面には、土師器(はじき)細片と7世紀前後葉の須恵器(すえき)片が認められた。小野妹子(おののいもこ)を被葬者とする伝承は、江戸時代の記録にはじめて見られる。
 平成2年3月  志賀町教育委員会」









小野妹子の墓と伝えれれている一方、その可能性は低いと大津市歴史博物館のホームページは説明しています。
「唐臼山古墳
からうすやまこふん

周囲を一望する小野水明一丁目の丘陵尾根筋の上に築かれる。墳丘は流失し、破損した石室が露出している。石室は現状で南北5.75m、幅1.5m、高さ1.7mが計測されている。石室内には玉石が敷かれており、玉石の上に置かれていた須恵器の坏身・坏蓋から7世紀前半頃の築造かと推定されている。伝説では、小野妹子を埋葬者とする説もあるが、可能性は低い。」

どちらにせよ、高貴な方のお墓であるのは間違いなさそうです。


見晴らしは良くて、東屋もありお弁当を持ってくると良さそうです。





ここから少し歩くと小野妹子神社が鎮座しています。



先ほどの小野道風などに比べると規模は小さいです。


「外交・華道の祖神
小野妹子神社

(祭神・大徳冠位小野妹子(いもこ)命)
 推古朝の廷臣、妹子は遣隋使として外国に行かれた先駆者である。
 西暦六〇七年聖徳太子が中国の隋朝と外交を開くに当り、遣隋使となり国書をもって渡海する。それには「日出ずる国の天子 日没する国の天子に書をいたす」と記され、大国隋へ対等の外交交渉を拓り開き日本の力を海外に示された外交史上有名な神徳の高い祭神である。今も神社へは外交官、駐在員の参拝が多い。
 又、妹子は華道の創設者として、今も華道家元「池の坊」によって免許の授与が受け継がれている。
 社殿は、古墳上にあり、裏の石垣のあとは、妹子の墓、唐臼山(からうすやま)古墳である。」



これがその奥の古墳。



展望台があって見晴らしは良いです。


対岸に三上山が見えます。



今回、小野妹子神社には裏側からアプローチしたようで、参道はここからつながっていました。



とにかく暑いので、これくらいで切り上げることにしました。
ちょうどお昼時です。
どこかでビールでもやりましょう。



湖西線に突き当たり、線路沿いに歩いて小野駅まて辿り着きました。




和邇駅から小野駅まで一駅歩いたことになります。



駅までくればお店が見つかると思いましたが、あまりお店がありませんでした。
なので、国道へ出て昼を食べて帰りました。


  終わり



Posted by 柚子木琴火 at 14:24 Comments( 0 ) 探訪 街歩き 和邇、小野 湖西

2022年06月30日    小野づくし1

長い間、更新できませんでした。
本当にお久しぶりです。
今回の地域は、和邇と小野です。
実は、最初、安曇川まで行くつもりだったのですが、近江舞子止まりの電車に乗ってしまって、途中で乗り換えないといけなかったのですが、ボケていました。
で、急遽、和邇駅で下車しました。
まったくのノープランでの古代ウォークとなりました。





和邇と書いて、ワニと読みます。
古代史に興味のある方なら和珥氏の名でご存知の方もいらっしゃると思います。
その和珥氏の由来がこの地となっています。



日本大百科全書(ニッポニカ)「和邇」の解説

和邇
わに

滋賀県西部、大津市の一地区。比良(ひら)山の南東麓(ろく)、和邇川流域にあり、東は琵琶(びわ)湖に面する。
地名は古代の和邇氏に由来し、和邇荘(しょう)の地で、『延喜式(えんぎしき)』に和邇駅の名もみえる。
近世は西近江(おうみ)路の宿場が設置された。
南部の小野には小野篁(たかむら)神社や小野道風(とうふう)神社、小野妹子(いもこ)の墓と伝える唐臼山古墳がある。国道161号が通じ、湖西道路和迩(わに)インターチェンジがある。
また、JR湖西線和邇駅もある。湖岸には水泳場があり、夏のリゾート地としてにぎわう。




駅の地域マップで観光ポイントを確認すると、隣の小野駅に戻る形で歩いていくと、小野神社とか古墳群があったりとか古代の匂いがしてきます。
散策ルートも表示されているので、それに沿って歩いてみることにしました。
小野という地は、小野氏の本拠地ですが、この小野氏は、和珥氏の枝氏だそうです。
和珥氏の本拠地は、大和国添上郡和邇(現・奈良県天理市和爾町・櫟本町付近)と添下郡らしいので、近江の和邇は、和珥氏というより小野氏の地なのかもしれないと思いました。


古代、「和邇腹」とか「息長腹」と呼ばれる天皇家に后を嫁がせる家系があり、和邇腹は、この和珥氏のことで、息長腹は、息長氏のことでした。
和珥氏は、第5代孝昭天皇の長男「天足彦国押人命」(記では天押帯日子命)を祖としており、この氏族からは、柿本人麿の柿本氏、小野妹子、小野小町、小野道風などで有名な小野氏、山上憶良の山上氏、粟田真人の粟田氏、石上神社社家の布留氏、など歴史上活躍する人材を輩出しています。
また、浅間(あさま)神社(山梨県東八代郡一宮町)、富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)など関連神社が有名であり、中でも富士宮市の浅間神社は和邇部氏が社家として「和邇氏系図」として最も古くからのものを伝えているそうです。

朝廷では、埴輪などの祭祀土器製作集団を率いて、山稜の管理、古墳埋葬者の事績の語り部的役割を持っていたらしく、元々は「春日」氏と呼ばれていましたが、その後和邇姓となり、第29代欽明天皇頃からまた春日姓に改姓されたとも言われているそうです。(「和邇氏考」参照)


というわけで、まずは小野神社に足を向けました。
ちょうどこの日に、近畿も梅雨明けしたとかで強い日差しを受けてのウォークになりました。


お弁当の配達サービスをされているお店がありました。
こういうサービスはありがたいですね。

また、美味しそうなお魚のお店も。



若狭直送というのがそそられますね。
滋賀は海がありませんが、このまま北上すると日本海ですから、流通が機能すれば新鮮なお魚も食べられます。


暫く歩くと和邇公園に行きつきました。



その横に和邇川が流れています。



川に沿って少し上り、左手の森の中に小野神社が鎮座されていました。




参道を歩くと



二種類の樹、椎の木が檜の木を抱いて和合していますね。


反対側には、こんな木が、



さて、由緒ある小野神社です。


「祭神
天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)
米餅搗大使主命(たがねつきおほおみのみこと)

御由緒
 小野神社は小野一族の祖であると共に餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇太子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餅搗大使主命の二神を祀る。

 今から1100年前の延喜式の神名帳に滋賀郡第三座の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。

 古事記によれば天足彦国押人命は孝昭天皇と尾張国の連(むらじ)の娘余曽多木比売との間にお生まれになった第一子皇子で春日、大宅、粟田、小野、柿本、大坂、安濃、多岐、羽栗、都怒山、伊勢、飯高、一志、近江の国造の祖であると記されている。

 また日本書紀には大和朝廷成立以前にこの地において、今の大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた名族であり、諸国に多い小野の地名、氏族の発祥地、祖神でもある。」




参道正面に見えていたお社とは別に、その横に鎮座しているのが小野神社です。
なので、アプローチとしては、まっすく進まずに横道を登っていきます。



この参道右に小野小町の塔があります。






小野小町は、小野篁の孫とか、娘だとか・・・
本名は、小野吉子だとか。。。




小野神社です。





その横に、小野神社より大き目のお社があります。




≪摂社≫ー学問・使節の神

小野篁神社(祭神・小野篁命)

 「平安前期(西暦802年〜852年)、参議岑守(みねもり)の子、漢学者、歌人。西暦834年遣唐副使を命じられ、836年に出発。しかしこの度は暴風雨にあって遣唐使の目的を断念する。838年再度、遣唐副使に任じられたが大使藤原常嗣との折り合いが悪くなり渡唐をとりやめる。この時、「西道謡」を作って遣唐の役を風刺したため、嵯峨上皇によって篁は隠岐島へ蟄居される。三年後許されて帰京、昇進を重ねて参議、従三位となる。「参議」は太政官の官名、政務審議の構成員で大、中納言に継ぐ要職である。

 篁は漢詩文にすぐれ勅を奉じて「令義解」の撰進に参加している。篁の詞は「経国集」「和歌朗詠集」「扶桑集」「本朝文枠」に収められ、和歌は「古今集」に六首。「篁日記」は後人の作で、篁の歌を中心とした歌物語である。野相公、野宰相ともよばれている。

 百人一首に「わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人に告げよあまのつりぶね」の歌があり、境内には歌碑が建立されている。

 社殿は祭神の古墳上にある。建物は旧国宝、現在重要文化財である。」



小野篁というと、夜になると京都の六道珍皇寺の井戸から地獄に降りて閻魔大王のお手伝いをしていたという伝説が残っている方ですね。


その横には、八幡神社と松尾神社。


​それらにお参りして、今度は正面の参道を下りていきました。
出口付近には、御神田に田植えがなされていました。

稲作を大事にされている神社は良いですね。
現代では、土地の関係上御神田を持っている神社は多くないでしょうが、稲作への信仰も神道の大切な柱だと思います。ゆえに天皇は、自ら田植えをして収穫をされるわけです。

森の中はまだ涼しいのですが、また強烈な日照りの中でウォークは続きます。
用意していたミネラルウォーターで喉を潤し、長袖のパーカーで、頭と肌を隠して太陽の下に歩き出しました。


  つづく








Posted by 柚子木琴火 at 14:27 Comments( 0 ) 街歩き 和邇、小野 湖西

2021年09月23日    お知らせ

今日は、2021年の秋分の日です。
大変、ご無沙汰しておりました。
ここでの更新は、2018年の冬以来です。
にもかかわらず、毎日、この停止しているブログにお越しいただいている方がいるようで、アクセスが記録されています。
時々、過去の記事を読んで頂いているようで、急にアクセス数が増えたりするのですが、
大方は、数人の常連さんが定期的に、更新を確認しにきていただいているのではないかと想像しております。
その方々には、この場を使ってお礼申し上げます。
放置し放しですみません。いつもありがとうございます。

さて、古代近江ウォーカーですが、僕自身は、まだまだ継続したい気持ちはあったのですが、
実際、体力的な衰えや別の要件で、時間を費やすことができず、更新が滞っております。

ただ、来年春より、生活環境を変えようと決断しまして、
その結果、少しの期間は、自由になる時間が増えると期待しています。
なので、来春より、少しでも更新を再開できるよう頑張りたいと思っています。
まだ、半年ほど先の話になりますが、春分の日辺りに何かお伝えできれば良いなと思っています。

今のところは、noteでクリエイティブな活動をしております。
この古代近江ウォーカーは、地元滋賀の古代に特化して散策日記をアップしてきましたが、
noteでは、地域を限定せず、女神信仰にテーマをあてて、物語風に紀行文を書いております。
女神浪漫紀行です。
こちらは、有料となっておりますが、返金可能の設定をしております。
よろしければ、読んでみて下さい。

また、紀行文ではありませんが、過去日記をこちらは、無料でほぼ毎日更新しております。
合わせてお楽しみいただければ幸いです。
来春のここでの再開まで、そちらをお楽しみくだされば嬉しいです。
とりあえず、近況というか、また再開までのお知らせということで、
頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。




Posted by 柚子木琴火 at 10:19 Comments( 0 ) お知らせ