2015年05月01日    荒神山参詣1


かねてから行きたいと思いながら、なかなか行けなかった彦根の荒神山。
やっと、今回行く機会に恵まれました。
ちょうど、今、幸神信仰を追っている最中で、荒神様も関係あるとみていたので、
楽しみな参詣となります。

JR河瀬駅で下車。
僕は、河瀬駅というのは初めてとなります。
荒神山参詣1

駅前はお店らしきもはあまりありません。
荒神山参詣1

駅近郊はこんな感じのようです。
荒神山参詣1

とにかく天気は最高です。
まずは、荒神山に向かって歩くことにしました。
久しぶりの古代近江ウォークです。

荒神山参詣1
荒神山が近づいてきました。
結構、高いですね。
荒神山は、標高284mです。
思ったより時間がかかりそうです。それに横幅も広い。

荒神山参詣1
これが荒神山です。

途中、麦が青々と繁っていました。
荒神山参詣1

駅から20分ほど歩くと山の麓に着きます。
その前を川が流れていました。
荒神山参詣1

さらにこれと並行して、大きな川がもう一本流れています。
荒神山参詣1

宇曽川と言うようです。
荒神山参詣1

川には何本も橋が架かっています。
僕が渡ったのは新橋という橋でした。
橋を渡ると山の麓、ここから右折するか左折するか選択です。
荒神山参詣1

右のほうに神社ぽい雰囲気を感じたので、右折しました。

しかし、それは神社ではありませんでした。
少し歩くと、山へ入る道がありました。
荒神山参詣1

実を言うと、今回あまり登山を考えておらず山頂まで登る気はありませんでした。
だから、このまま山に入るのはどうか・・・と思ったのですが、荒神山神社にはお参りしたかったので、少し山に入ると神社に着けると思い込んでいたのです。
あまり下調べをしていなかった僕は、荒神山神社が山頂にあると思っていなかったのです。
それに、荒神山以外にも回りたい神社があったので、あまり登山に時間をかけたくなかったのです。

とはいえ、荒神山神社はメインだったので、山へ入ったのですが、
これが思わず深く入り込んでしまいました。
荒神山参詣1

後で、この道は天満コースというのだと知りましたが、
山のピークに着いても何もありません。そして道を下っていきました。
これは徒労になったようです。
一端、山を下ると麓に出たのですが、ここが神社の裏山でした。
天満天神社に着いたかな・・・と思ったのですが、その奥の荒神山神社遥拝殿でした。
荒神山参詣1

そうか、僕が地図で荒神山神社だと確認していたのは、この遥拝殿だったようです。
新橋を渡って右折ではなく、左折するべきだったのです。

とにかく遥拝殿にお参りしました。
荒神山参詣1

そして、本殿にお参りするご挨拶をしました。
不思議なもので、山に入る挨拶をすると心が落ち着きます。
山は怖いのですが、不安も消えます。

さっき来た山道を戻ります。
ここが参道だったのですね。
荒神山参詣1

さっき下ってきた道は二手に分かれ本殿への表示がありました。
荒神山参詣1

ここから山道を800mですか・・・
平坦な道なら平気ですが、山道の800mは辛そうです。
ここまでに、結構上り下りをして運動不足の僕の足は既に萎えております。
でも、行くしかないですね。

水の音がすると思うと水が流れ、その先で小さな滝でもあるかのような音がしていました。
木々の為にそれは見えませんでしたが、この山は水が豊富なのかもしれません。
荒神山参詣1

さらに上ります。
参道は石畳で舗装され歩きやすいのですが、結構斜面が急です。
荒神山参詣1

ほんと、天満コースの体力を返して欲しいものでしたが、
多分、今の僕は山を歩くことが必要なのだと思い、気を取り直して、山に同化する気持ちで歩を進めました。
やっと、山道を抜け着いたか・・・と思ったら舗装された道路に出ただけでした。
荒神山参詣1

ここからまだ500m先・・・
山道は大変で何度も休みながら登ったのに、300mしか進んでいなかったのです。
しかし、あと500mあるとはいえ、舗装された道はさほど苦にはなりませんでした。
だけど、車があれば、簡単に上れたのですね。
ただ、ここからが素晴らしかったです。

荒神山参詣1
琵琶湖を見下ろす景色は格別です。
景色を見ながら元気をチャージして、
もう神社まではあと少しです。

荒神山参詣1
いよいよ境内に入ります。
荒神山参詣1

石段を登りと思ってたより立派な社殿が建てられていました。
荒神山参詣1

その横には使いの牛がありました。
荒神山参詣1

荒神山神社のご祭神は、
◇主座 【三柱】 火・炊事(台所)の神  —三宝荒神—
火産霊神(ほむすびのかみ)     火の神
奥津日子神(おきつひこのかみ)
奥津比売神(おきつひめのかみ)   炊事(台所)の神

◇相殿 【四柱】 祓いの神(はらいのかみ)
瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)
速秋津日売神(はやあきつひめのかみ)
気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)   

となっております。

公式HPには、その由緒を
「当神社の起源は1,350年前と伝えられています 
天智天皇の時代近江国(現滋賀県)に四ヶ所の祓殿(はらえどの)が設けられました。その四ヶ所の祓殿とは、南三郡(現大津市など)は唐崎、西二郡(現高島市など)は白髭前、北三郡(現長浜市など)は木之本、中四郡(現彦根市の一部・犬上郡・愛知郡・東近江市・蒲生郡)が荒神山であり、今で言う荒神山神社は、犬上・愛知・神前・蒲生四郡の祓殿及び御祈所と定められていました。」

と天智天皇の時代に設けられた祓殿が最初だとされていますが、
荒神山参詣1

神社の掲示版には、
第7代孝霊天皇の時代にこの山が現れ27代継体天皇の時代に神事が執り行われたと書かれていました。

また、社務所でお札を購入した際、同封されていた由緒書きには、
「今から二千二百年前から荒神山山頂に火の神様、かまどの神様が奉斎してあったと伝えられていますが起源ははっきりと判りません。」
はっきりとわからないものの、火神信仰の聖地であった可能性を示唆しています。
2200年前というのが疑問符なのだと思いますが、
孝霊天皇の時代を『古事記』・『日本書紀』に記述される在位期間を機械的に西暦に置き換えた年代が、この年代の根拠だと思います。
しかし、孝霊天皇の時代というのは、野洲の三上山に天御影主命が降臨された時代ですし、孝霊天皇の子である8代孝元天皇から、その妃が物部氏系に変わっていきました。
このあたりの一つの時代の節目が7代と8代の間にありそうな気がします。
そして、その後、近江にも変化が起こっていったように思います。
七色堂「湖国と物部神」参照)
なので、その年代は別として、孝霊天皇の時代というのはまんざらでもないように思います。


荒神山に祓殿が造られた後、聖武天皇の時代に僧、行基がこの地に奥山寺と建立し、三宝荒神を祀りました。
三宝荒神とは、大日如来、不動明王、文殊菩薩の三仏のことでした。
奥山寺は、明治時代の神仏分離の煽りをうけ、荒神山神社と変容しています。
奥山寺は神仏融合の信仰だったのですが、神社になってから三宝荒神の祭神は、現代の火産霊神、奥津日子神、
奥津比売神の三神に変えられました。
ここでも、明治の神道政策の被害があったわけです。

それはそうと、僕の興味を引いたのは、
行基が奥山寺の伽藍成就の後、伊勢大神に礼参し、外宮の神木宇賀璞の実を頂いて社頭に植えられ、これが現在のご神木になっているということです。
荒神山参詣1

お礼をしたという事は、三宝荒神をお祀りしたお蔭に伊勢神宮が関係あるということです。
荒神様と伊勢神宮は関係あるのでしょうか?
おそらく深い関係があるのだと思います。
僕は、内宮の天照大神と関係あるのだと思っています。
しかし、内宮は一般人は参詣できなかったので、外宮にお参りしたのだと思います。
もしくは、外宮に秘められた秘密があるのかもしれません。
どちらにせよ、伊勢の神と荒神様は密接な繋がりがあることが、行基の行動から言えるのではないでしょうか。


さて、お参りした後は、下山して唐崎神社に向かうことにしました。

       つづく



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Posted by 柚子木琴火 at 08:16 │Comments( 0 ) 山歩き 荒神山 参詣
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