2014年05月04日 買物帰りの大萱散歩
近江大橋を渡り東岸の草津イーオンで買物を済ましたあと、
そこから南へ国道一号線の方角へ歩く事にしました。
ちょうど大萱町を歩くことになります。
最初に訪れたのは、貴船神社です。

滋賀県神社庁の検索にはヒットしませんね。
貴船の神様といえば水神です。
代表的なのは高龗神ですね。
ここもそうでしょうか?
ちょっと確認はとれていません。
ただ、船の神様として祀る場合もあります。
ここは、大萱の浜といったそうです。
今は住宅が立ち並んで浜ではありませんが・・・

琵琶湖で運ばれた物資がこの浜に着岸し、
国府に運ばれたそうです。
前回の近江国府と繋がっているのですね。

確かに、神社の横には川が流れています。

大津のかんきょう宝箱のHPには、この浜を照らす常夜灯が掲載されています。
貴船神社からさらに南へ歩いていると、
こんな石碑がありました。

織部高山古墳跡
銅鏡が出土しているようです。
この織部高山古墳跡、今は西浦神社が鎮座しております。


ここは十禅師山と言ったようですね。
日吉大社とも関係ありそうです。
西浦神社も検索にヒットされません。
御祭神は、天津彦火火出見命と書いてあるのでしょうか・・・
ちょっと下部が読み取れません。

ここから国道へはあとわずかです。
お昼御飯を食べていなかったので、早めの夕飯を取ろうと国道沿いの回転寿司へ向いました。
実は、今日は氏神様のお祭でした。
お寿司が食べたくなったのです。
昼食を終えると、石山方面へ国道を歩きます。
歩き出すとすぐに若松神社がありました。
ちょっと寄ってみます。
若松神社は、8町×8町の範囲がある近江国府の四つ角には、それぞれ神社が祀られているそうで、その北西の角に位置する神社です。

「創立は欽明天皇御宇勧請とされ、社頭高十石五斗領主より代々寄進があった記録があり。その他の社伝に称徳天皇神護景雲元年に下総国香取神宮の御祭神を奈良春日神社に勧請の際、当地に滞在され、その後宝亀八年湖水の絶えた時、光仁天皇が周辺の神社に御祈願され、満珠を得られたことから御祭神を若松大明神改められ、勅願によって奉斎されたのが当社の創祀とも伝えられる。」
由緒ある立派な神社です。

御祭神は、經津主尊 です。
本殿横には、摂社末社が祀られています。

日吉神社、出雲神社、市杵嶋姫神社

若松龍神様

白蛇様
ここには白蛇伝説が残っています。

「今から約九百五十年前、瀬田に江ノ侍従と云う貧しいけれども心のやさしい信仰心の深い女官が住んでいた。
或る夜嵐が起こり夜中に目を覚ますと外に神々しく気高い女性が雨に濡れて立っておられるので、気の毒に思い招き入れ一夜の宿を貸すと嵐は忽ち止んだ。
やがてその女の方が申すには「私は貴女の好意に感謝し必ず貴女等を守り子孫七代の末迄幸運を授けましょう。
その証は夜が明ければわかります。」
と云って、たちまち六寸の白蛇になった。
夜が明けると庭に一本の若松が生えており、侍従はその白蛇の霊をあがめ社殿を建立、依頼若松宇賀大明神として斎き祀る。」
で、宇賀神社が祀られています。

更に八坂神社

また、お稲荷さんも

この神社も横には川が流れていました。
参道には若松不動が祀られているのですが、位置的に昔はその川で禊をしていたのかもしれないな・・・
と思いました。
この境内には、古墳があります。

久保江古墳。
6世紀末期の豪族の横穴式石室が出土しているようです。
この辺りも古い土地だったのですね。
神社を出ると瀬田の国道橋を渡ります。

ここから瀬田の唐橋が見えますが、川の左岸に国府があり、右側に保良宮があったわけです。
国道橋を渡り湖岸を歩きました。
この日はレガッタが開催されておりボートがたくさん浮かんでいました。

天気もよくのどかな休日です。
ここは粟津の晴嵐と呼ばれる近江八景の景勝地でもあります。

今は、穏やかな土地ですが、
かつては、もう少し南になるのかもしれませんが、
神功皇后の時代には、忍熊王と武内宿禰の戦い。
壬申の乱。
源平の木曽義仲の戦い。
など、多くの血が流された場所です。
そんなことも考えながら、今の平和が末永く続くことを祈りながら帰途につきました。
そこから南へ国道一号線の方角へ歩く事にしました。
ちょうど大萱町を歩くことになります。
最初に訪れたのは、貴船神社です。
滋賀県神社庁の検索にはヒットしませんね。
貴船の神様といえば水神です。
代表的なのは高龗神ですね。
ここもそうでしょうか?
ちょっと確認はとれていません。
ただ、船の神様として祀る場合もあります。
ここは、大萱の浜といったそうです。
今は住宅が立ち並んで浜ではありませんが・・・
琵琶湖で運ばれた物資がこの浜に着岸し、
国府に運ばれたそうです。
前回の近江国府と繋がっているのですね。
確かに、神社の横には川が流れています。
大津のかんきょう宝箱のHPには、この浜を照らす常夜灯が掲載されています。
貴船神社からさらに南へ歩いていると、
こんな石碑がありました。
織部高山古墳跡
銅鏡が出土しているようです。
この織部高山古墳跡、今は西浦神社が鎮座しております。
ここは十禅師山と言ったようですね。
日吉大社とも関係ありそうです。
西浦神社も検索にヒットされません。
御祭神は、天津彦火火出見命と書いてあるのでしょうか・・・
ちょっと下部が読み取れません。
ここから国道へはあとわずかです。
お昼御飯を食べていなかったので、早めの夕飯を取ろうと国道沿いの回転寿司へ向いました。
実は、今日は氏神様のお祭でした。
お寿司が食べたくなったのです。
昼食を終えると、石山方面へ国道を歩きます。
歩き出すとすぐに若松神社がありました。
ちょっと寄ってみます。
若松神社は、8町×8町の範囲がある近江国府の四つ角には、それぞれ神社が祀られているそうで、その北西の角に位置する神社です。
「創立は欽明天皇御宇勧請とされ、社頭高十石五斗領主より代々寄進があった記録があり。その他の社伝に称徳天皇神護景雲元年に下総国香取神宮の御祭神を奈良春日神社に勧請の際、当地に滞在され、その後宝亀八年湖水の絶えた時、光仁天皇が周辺の神社に御祈願され、満珠を得られたことから御祭神を若松大明神改められ、勅願によって奉斎されたのが当社の創祀とも伝えられる。」
由緒ある立派な神社です。
御祭神は、經津主尊 です。
本殿横には、摂社末社が祀られています。
日吉神社、出雲神社、市杵嶋姫神社
若松龍神様
白蛇様
ここには白蛇伝説が残っています。
「今から約九百五十年前、瀬田に江ノ侍従と云う貧しいけれども心のやさしい信仰心の深い女官が住んでいた。
或る夜嵐が起こり夜中に目を覚ますと外に神々しく気高い女性が雨に濡れて立っておられるので、気の毒に思い招き入れ一夜の宿を貸すと嵐は忽ち止んだ。
やがてその女の方が申すには「私は貴女の好意に感謝し必ず貴女等を守り子孫七代の末迄幸運を授けましょう。
その証は夜が明ければわかります。」
と云って、たちまち六寸の白蛇になった。
夜が明けると庭に一本の若松が生えており、侍従はその白蛇の霊をあがめ社殿を建立、依頼若松宇賀大明神として斎き祀る。」
で、宇賀神社が祀られています。
更に八坂神社
また、お稲荷さんも
この神社も横には川が流れていました。
参道には若松不動が祀られているのですが、位置的に昔はその川で禊をしていたのかもしれないな・・・
と思いました。
この境内には、古墳があります。
久保江古墳。
6世紀末期の豪族の横穴式石室が出土しているようです。
この辺りも古い土地だったのですね。
神社を出ると瀬田の国道橋を渡ります。
ここから瀬田の唐橋が見えますが、川の左岸に国府があり、右側に保良宮があったわけです。
国道橋を渡り湖岸を歩きました。
この日はレガッタが開催されておりボートがたくさん浮かんでいました。
天気もよくのどかな休日です。
ここは粟津の晴嵐と呼ばれる近江八景の景勝地でもあります。
今は、穏やかな土地ですが、
かつては、もう少し南になるのかもしれませんが、
神功皇后の時代には、忍熊王と武内宿禰の戦い。
壬申の乱。
源平の木曽義仲の戦い。
など、多くの血が流された場所です。
そんなことも考えながら、今の平和が末永く続くことを祈りながら帰途につきました。
Posted by
柚子木琴火
at
08:56
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